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「雪山偈」視点を変えるとこんな話に

2010年5月8日

釈尊がこの世で悟りを開くにいたった過去世の因縁としての物語の中で、一人の修行者が雪山(ヒマラヤ)でひたむきに修行していた。

その真摯な態度に感動した帝釈天(仏法の守護神)は、悪鬼(羅刹)のすがたに身をかえて修行者の前にあらわれた。

そして「諸行無常なり、是れ生滅の法なり」と雪山偈の半分を唱えたのでした。

修行者はこの真理の二句を聞いて大いに驚き歓喜し、あたりを見回すがそれらしい人影はない。

そこに立っているのはおそろしい姿の羅刹であった。

修行者はおそるおそる鬼に話しかけた。「今の言葉はお前がとなえたのか」というと「そうだ」という。

修行者は「今の二句は真理を説いてはいるが、それではどう生きたらいいかという後の二句が説かれていない。知っているなら是非とも続きを聞かせて欲しい」。

鬼は答えた。「もちろん続きも知っているが、腹がへって続きを唱えることができん」というのであった。修行者は 「それではお前の食べ物を私が探してこよう。

一体何が食べたいのだ」と聞くと、「人間の血と肉を食べたい」と言う。そこで修行者は、真理を求めるために命を捨てる覚悟をして言った。 

「それでは、私の身体をあげるから続きを聞かせてもらいたい」ということになり、鬼は「生滅を滅し終わって、寂滅をもって楽となす」の言葉があたりにこだましました。

修行者はこれを聞いて驚喜し、後世の人の為に四句を岩に刻み約束通り谷底に身を投じた。その瞬間たちまち鬼は帝釈天の姿になって、やさしく修行者のからだを受けとめ礼拝した--。

この修行者というのが前世で修行している時の釈尊であった、というのです。

 この四句を諸行無常偈といい、葬儀幡として当寺で行う葬儀には葬儀会館にても必ずかかげていますが、都会の葬儀ならいざしらず周辺市町村でもほとんど見られないと言う現状は誠に残念です。

葬儀幡は四本幡(四幡)ともいい旗ではなく幡です。

幡は仏菩薩を称え、教えを表示する意味を持っています。

この無常偈は、修行中の釈尊を雪山童子(せっさんどうじ)といいましたので、雪山偈ともいわれます。

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