2010年11月2日
龍馬は勝海舟と土佐の仲間らと共に幕府の軍艦に乗り込み、神戸から江戸へ向かう途中、
突然の嵐にみまわれ、風待ちの港、下田港に入港することを余儀なくされた。
土佐藩主・山内容堂が同じく風待ちのため下田にいることを知った勝海舟は、
龍馬の脱藩の赦免を願う千載一遇のチャンスだと考え、山内容堂公の滞在している宝福寺へ向かう。
そのころ龍馬は、下田・住吉楼という遊郭で海舟の帰りを待つ。
宝福寺では、なみなみと酒を注ぎだ大杯を勝海舟に差出し容堂公は、
「許してほしくばこの酒を飲み干してみよ」と促す。
容堂は、勝が酒を飲めないことを知っていた。
龍馬脱藩赦免を勝ち取りたい勝はその杯の酒を臆することなく飲み干してしまう。
そして容堂は、「勝つが飲んだ、勝が飲んだ」と手をたたいて喜ぶ。
勝は大笑いする容堂をじっと見つめ、
「酒席の約束事ならば、その証として容堂候の瓢箪をいただきたい」と所望する。
そこで容堂は自らの白扇を取り出し、
「歳酔三百六十回鯨海酔候」(一年三百六十日酔っている。鯨が泳いでいる海の国の酔っ払い大名の意)
としるし勝に手渡しする。
その証は、坂本龍馬と勝海舟の絆、龍馬飛翔の原点として今に伝わる。