2013年8月8日
標高353mの古城山に築かれた竹田城は、
山名宗全の配下の太田垣氏による築城とされ、
石垣は無く土の城だったと考えられている。
現在の石垣は、秀吉配下となった元播磨龍野城主、赤松広秀によって築かれた。
近江の穴太衆による石垣と同技術の野面積みで、
そのコーナー部の反りには算木積みが大成する前の過渡期の積み方が見られる。
関ヶ原の戦いの後に、赤松広秀の死とともに廃城となり、
石垣は400年を経て一部修復され現在の姿となっている。
最高地、天守台からの景色
山城の郷付近からの遠望