2016年5月10日
奈良県多武峰(とうのみね)にある談山神社(だんざんじんじゃ)へ行きました。
中大兄皇子と中臣鎌足が「大化の改新」のため、談(かたら)いをした山という由来からこの名がつきました。
鎌足の死後、長男で僧の定恵(じょうえ・・・不比等の兄)が唐からの帰国後に、父の墓を大和のこの地に移し、十三重塔を造立したのがこの神社のはじまりです。
日本の歴史を大きく変えることになったこの地での「二人の談い」は、どんなものだったのでしょうか?
中臣鎌足の遠祖とされる天児屋命(あめのこやねのみこと)は、天照大神が岩戸に隠れた際、神々を集め相談し大神を岩戸から出すべく画策をし、祝詞を読んだ神です。
その子孫とされる鎌足は、日本の行く末を案じ、一大クーデターを画策したのかもしれません。