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越前大野城

2016年5月23日

金森長近公は、1524年に美濃(岐阜県)に生まれ、幼名を五郎八可近(ごろうはちありちか)といいました。

18歳の時に織田家に仕え、当時8歳の信長の身のまわりの世話をしました。

その後、今川義元との合戦で手柄をたて、信長の「長」の字をもらい長近と名を改めました。

 

1575年に越前の一向一揆鎮定(いっこういっきちんてい)の恩賞として、大野郡の3分の2を与えられました。

 

長近公は標高250mの亀山の頂上に越前大野城を築き、ふもとに城下町を建設しました。城下町の碁盤目状の町割は400年以上経った現在も良く残っており、「北陸の小京都」と呼ばれています。1586年には、秀吉の命令で攻め落とした飛騨一国を与えられ、高山城(岐阜県高山市)を築き、城下町を建設しました。

1600年の関ヶ原の合戦では東軍(徳川軍)に加わり功績を認められ、美濃国上有加(こうずち)(岐阜県美濃市)を与えられ小倉山城を築き、引退してこの城で生活し、1608年夏、京都伏見の屋敷で85歳の生涯を終えました。

長近公は、どちらかというと優しくまじめな人柄で、戦いは好まず平和を愛していたようです。都市計画で秀でた才を持つだけでなく、茶の道に通じ、教養のある一面を持ち合わせていました。

信長・秀吉・家康の時代の支配者に順応して戦国時代を駆け抜けた武将と言えます。(結(ゆい)ステーション内立て看板より)

 

「結(ゆい)ステーション」から20分ぐらいでこれます。

石垣は野面積みといって、ほとんど加工せずに積み上げる工法です。

 

天守から眺めた「大野城下」

城下には隈なく水路が走っています。地下水が豊富で至る所に「御清水」(おしょうず)という湧水地が点在しています。

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