2019年8月17日

北朝鮮の国章の中央にはダムが描かれています。
このダムは日本統治下であった1941年に創業した「水豊ダム」です。
当時、真っ暗闇だった朝鮮半島に明かりを灯すために尽力した日本人がいました。
その日本人とは、 日本窒素肥料を中核とする一大コンツェルンを築いた野口遵(したがう)氏です。
野口氏は水豊ダム(朝鮮と満州の国境に流れる鴨緑江を堰き止めるためのダム)の建設を発案、日本統治下の朝鮮総督府と満洲国政府に工事費用を折半させ1937年に建設着手、41年から発電を始めることに成功させました。貯水量は、琵琶湖の約半分に相当し、当時としては世界最大級でした。
終戦後、進駐していたソ連軍に発電施設の一部を持ち逃げされたり、朝鮮戦争で空爆に遭ったりしましたが、壊滅は免れ、今でも北朝鮮の安定した電力源になっています。
日本はこのダム建設しかり、満州や朝鮮半島を中心に東アジア全体にハードソフト両面において多大な整備をしてきました。
先人の方々は私利私欲ではなく、自国だけでなく貧しい隣人をも豊かにしようと高い志を持って貢献されました。
私たちは日本人を誇りに思える歴史を教科書で習っていません。
明治から終戦そして現代に至るまでの今に結び付く大事な部分が故意的にスルーされているし、悪意を持って、あるマイノリティが日本人に自虐史観を植えつけているのです。
いくら隠したり捻じ曲げようとしても、真実は変わりません。
もっと真相を知っていきたいと思います。