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ハワイに息づくマナ Muの末裔

2019年8月21日

 

ハワイは世界で最も安全な海外旅行先の一つです。

そして多くの日本人も訪れる島でもあります。

多くの日本人が愛着を感じるのには、やはり理由があるのではないでしょうか。

 

ハワイには「マナ」という言葉があり、「アロハ」と同様に精神的支柱として崇めれれおり、「最高に神聖なモノ」を意味してい ます。

語源はイスラエルの三種の神器である「マナの壺」からきているのではないでしょうか。

 

 

奴隷にされていた古代イスラエルの民は、絶対神ヤハウェの預言者モーゼの先導で脱出に成功します。

神との約束の地カナンを目指しての民族大移動は40年も続いたとされていまします。

その民族の長旅を食料の面で支えたのが天からの恵みであるマナです。

そして驚くことに、約束の地カナンは実は日本だったという説に基づいているのが本文の根幹です。

単なる架空の話ではなく、日本の文化にすでになっています。

日本では信仰、祭り、言葉、風習などが古代イスラエルの共通点が多すぎます。

そして、日本とハワイですが、同じ人種(モンゴロイド・縄文人の末裔)であり、以前の記事にも書きましたが、日本人と古代ハワイ人はムー大陸沈没から避難したムーの生き残りでもあります。

(太平洋上に浮かぶムー大陸は、高度な文明を持ちながら一万二千年前の八月中旬のある日、一夜にして海に沈みました。

一部の人たちは、ハワイや沖縄や紀伊半島、イースター島に避難し、かろうじて生き延びたという説のことです。)

ムー(Mu)といえば、ハワイの女性の正装とされるムームー(MuuMuu)も連想させます。

 

 

また、近代において、ハワイには日本人が移民しました。

そのきっかけとなったのが、ハワイ王国滅亡の危機の救いを求め、当時のハワイ王国カラカウワ大王が明治14(1881)年に来日し、明治天皇に会見したことによります。
この頃の日本は、有色人種で唯一の独立国でした。
日本は、有色人種の希望の星だったのです。

 

 

大王は、明治天皇にハワイ王国の窮状を述べました。
そして、5つの事柄について、日本の協力を要請しました。

1 日本人移民の実現
  ハワイ人の人口減少を同一種族である日本人の植民で補う。
2 やがて王位を継ぐことになる姪のカイウラニ王女と
  日本の皇族の山階宮定麿親王との婚約。
3 日本・ハワイの合邦
 (ハワイを日本にしたい)
4 日本・ハワイ間の海底電線(ケーブル)敷設。
5 日本主導による「アジア連邦」の実現。

当時の日本において、唯一実現したのが日本人の移民でした。

2万5千人の日本人移民は、ハワイで大歓迎を受けました。

ホノルルの出雲大社

その後大王は病死、 カラカウワ 大王の実妹のリリウオカラニが女王として即位しましたが、ハワイ王国は白色人種の強権に屈し滅亡してしまいます。

カラカウワ 大王 来日からわずか12年後のことでした。

日本も入植している同朋を守るために東郷平八郎が軍艦2隻を派遣し、

米軍艦と対峙する事態にもなりました。

 

カラカウア大王は、キリスト教宣教師によって禁止されていたフラダンスを復活させた大王であり、フラダンスの父とも呼ばれました。
そして東郷平八郎氏と親交があったといわれるハワイ王国最後の女王リリウオカラニが、作詞作曲したフラの名曲が、あの有名な「アロハ・オエ」です。

Aloha ‘Oe アロハ・オエ(あなたに愛を)

 Ha’aheo ka ua i na pali
 Ke nihi a’ela i ka nahele
 E hahai ana paha i ka liko
 Pua ‘ahihi lehua o uka

 Aloha ‘oe, aloha ‘oe
 E ke onaona noho i ka lipo
 A fond embrace a ho’i a’e au
 Until we meet again

 山たちこめる雲 霧化し森の間間
 さがす谷咲く花 潤むいのちつぼみ
 ふるさと ふるさと
 うるわしのああ まほろば 
 もう一度 抱きしめて
 さようならふるさと

 

このように日本と縁の深いハワイですが、

国土が他国に奪われること、

民族の信仰も言葉も奪われてしまうとは、

失った者しかわかりません。

国を守ることの大切さがハワイの悲話からも教訓になります。

 

一部、参考したブログ ねずさんのひとりごと

http://nezu3344.com/blog-entry-3324.html

 

以下、弊社ホームページより引用です。

(前述しましたマナについては書いています)

仁徳天皇陵(壺を持つ取っ手もあり「マナの壺」を象っていると言われる)
GHQは早速に発掘調査をした。

マナへの思い

人が求めている「学び」とは何だろう?

「学び」について、調べてみました。

すると、「学び」という言葉には、神秘的なものが含まれていることがわかったのです。
それは、マナビの「マナ」の中にあります。

「マナ」は旧約聖書に登場する天から降りてきた白いパンのような食べ物のことです。

モーゼは言いました。
「主神は命じられました。マナを1オメル(壺)の分量、あなた方の子孫や隣人の為に蓄えておきなさい。
それは私が、あなた方 をエジプトの地から導き出した時、荒野であなた方に食べさせたようなパンを、彼らや縁ある多くの人々にも食べさせる為である」 (『出エジプト記』第16章31節~32節-) 

この「マナ」という白くて甘いパンのような食べ物は、飢える多くの人々を救うことになったのです。
そしてマナを入れた壺は、マナの壺と称し、三種の神器として、アロンの杖、十戒石とともに契約の箱に納められました。

これは仮説ですが、この契約の箱は、モーゼの時代に日本に持ち込まれたという説があります。
約束の地カナンは日本だったというのです。

能登半島は今の七尾市の海岸に上陸したモーゼ一行は、契約の箱を、大勢で担いだり、曳車に載せたり、舟に乗せたりして、京都など各地を巡りました。
納める土地を探すためです。
そして、伊勢神宮外宮の多賀宮に埋められました。

目的を果たしたモーゼは、能登半島は宝達山で力尽きました。
宝達志水町には、現在も「モーゼの墓」の伝説が残されています。 モーゼ一行が契約の箱を曳車に乗せたり、担いだり、舟に乗せたりして各地を巡った光景は、日本の祭りとして再現されていると言われています。 
祇園祭の山鉾や七尾市の青柏祭のでか山、だんじり、屋台、曳山の巡行や神輿担ぎなどは、契約の箱を運んだ光景の再現なのだそうです。 

掛け声の「エッサ」はヘブライ語で「運ぶ」という意味。
「祇園祭」とエルサレムに伝わる「シオン祭」は細部の行事日程までもが酷似しています。

天から降ってきた「マナ」を最初に見た人々は、神の持つ力に驚きました。 
「マ・ナ」(ヘブライ語で「これは何だろう」)と。

この疑問文がそのままその食べ物の名前になったと言われています。今でも食べ物をマンナと言い、マナを切り分けるときに使ったものを「まな板」と言います。 

マナは漢字で真名(まな)と表します。
中国では漢字は神との対話から生まれた文字とされていました。

漢字を習うことは神との対話を習うすることだったのです。
日本に漢字が伝わった時、漢字の楷書を真字(しんじ)と言いました。字は名と同意だったので、真字(しんじ)は真名(まな)とも呼んだのです。

漢字を習うことは、真名(まな)を習うという意味に繋がり、学ぶという言葉の語源になったと言われています。 
真名(まな)は、日本神話にも出来てきます。

天照大神とスサノオが誓約(うけい)をした場所が(あま)の真名井です。
宮崎の高千穂峡にある真名井滝、天橋立にある元伊勢の籠(この)神社奥宮は真名井神社、亀岡にある元出雲の出雲大神宮には真名井の泉などです。

神々の島、マナ島(フィジー)
マナは、ハワイの南太平洋の島々に住むポリネシア人にとって、神の持つ力を表す言葉として崇拝されています

手塚治虫のブッダ
マナは仏教の世界にも存在します。人間が悟りを得るには八識が必要になるという考え方です。八識には、五感と言われる視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚、そして意識、更に人間特有の末那識(マナシキ)、阿頼耶識(アラヤシキ)があります。これら八識の段階を経て、人は悟りを得ます。ここで最も重要なのは末那識だとされています。悟りの境地である阿頼耶識へ行く前段階の心の働きだからです。



「マナ」という言葉の響きには、私自身、神秘的な魅力を感じています。

「愛」を「マナ」と読むことも神秘の一つです。

「愛」は「心の受け」と書きます。
家族、隣人、友人、目の前の人、あらゆる人間関係において、相手の心を受け止めることこそが、愛の基本であることをこの文字は教えてくれています。

以上でわかったことは、「マナ」という言葉の持つ意味の全てが、神に深く関係しているということです。 
「マナ」は、目には見えない神様からの恵みであったり、神そのものを表したりしています。
「マナ」は、万物の中で息づいています。 つまりそれは、私たち人間にも「マナ」が宿っていることを意味します。

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