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戦後日本の運命を変えたあの日

2019年8月28日

GHQ本部があった第一生命保険㈱本社ビル

 

昭和20年9月27日のことです。
昭和天皇が一人の通訳だけを連れて、マッカーサーのもとを訪問されました。

昭和天皇は 何の目的で マッカーサーに会いに行ったのでしょうか。

私たちはその内容を全く習ってません。

戦後日本が分断されずにぎりぎりのところで持ちこたえたのは、

昭和天皇とマッカーサーとの会談にあります。

マッカーサーは本気で天皇を裁判にかけ絞首刑に持ってゆく腹づもりでした。

そして天皇が自分に今日会いに来たのは、命乞いをするためだとふんでいました。

ですから、天皇が入室しても 傲慢不遜にもマドロスパイプを口にくわえ、ソファーから立とうともしませんでした。

 

・・・(ここからが感動するシーンです。)・・・

そのマッカーサーに対し、陛下は直立不動の姿勢をとられました。
そして国際儀礼としてのご挨拶をしっかりとなさられたうえで、このように仰せになりました。

 

「日本国天皇はこの私であります。
 戦争に関する一切の責任はこの私にあります。
 私の命においてすべてが行なわれました限り、
 日本にはただ一人の戦犯もおりません。
 絞首刑はもちろんのこと、
 いかなる極刑に処されても、
 いつでも応ずるだけの覚悟があります」

 

弱ったのは通訳でした。
その通り訳していいのか?
けれど陛下は続けられました。


                                  
「しかしながら、
 罪なき八〇〇〇万の国民が住むに家なく、
 着るに衣なく、食べるに食なき姿において、
 まさに深憂に耐えんものがあります。
 温かき閣下のご配慮を持ちまして、
 国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように」

 

マッカーサーは天皇の言葉を聞いて驚きます。

今までの 傲慢不遜 な態度が一転します。

 

人気ブログ「ねずさんのひとりごと」ではわかりやすく説明してますので是非ご覧ください。

http://nezu3344.com/blog-entry-2265.html

 

私たちは日本人が誇りを持たないようと、徹底して日本の精神を弱体化する教育やテレビ番組などで洗脳をうけてきました。

昭和天皇が日本国民を憂い、国民の幸せのためにどのようにして国難に臨んでこられたか。

私たちは知らされていないのです。

 

現人神の天皇と腰に手をあてているマッカーサー の2ショットのあの写真は有名ですが、

私たちはその写真を見て

「こうも背丈が違うのか」

「日本は負けたんだ」

と衝撃や落胆の感情を誘うだけで

昭和天皇はマッカーサーに何を伝えたのか。

マッカーサーは天皇のその言葉をどのように受け止めたのか。

一番大事なことを私たちは知らされません。

これこそが教育やメディアを陰で操る存在の悪意です。

 

マッカーサーは軍人としてのプライドが極端に高く勤勉で生真面目な性格だったそうです。純粋すぎて悪意を持った影の支配者層から疎まれることになりました。もしトルーマンの手先のような総司令官であったなら戦後日本はどうなっていたでしょうか。GHQには共産党スパイが主導して日本国民弱体化のための政策を実行されていったそうです。マッカーサーはそんな悪意の集団の中でも善人だったことが昭和天皇の御言葉に心を打たれる結果となり、日本はギリギリのところで救われたのではないでしょうか。

 

 

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