有限会社大幸ツアー
Facebook Instagram

鎌倉街道 伝説「すのまたの女」

2019年10月28日

墨俣は尾張と美濃の国境にあります。

江戸時代に入ってからは美濃路が整備されましたが、それ以前は鎌倉街道という古道が通っていました。

宿駅も上宿下宿あたりにありました。

日本武尊が伊吹平定に通ったとも伝えれれています。

 

壬申の乱においては、大海人皇子が墨俣の渡にて難を逃れた伝説が残されています。

 

 

宇治拾遺物語

大海人皇子が洲俣(墨俣の旧名)の渡しに舟もなく立っておられた。

女が大きな湯舟で布を入れて洗っておるのを見て、「何とかして渡っていきたいが」といわれると、女は「一昨日大友の御使といふものが来て、渡し船をみなかしくて行ったので、ここを渡っても多くの渡舟場を通過することはできない。こうして話しておる内に今敵軍が攻めて来るでしょう。どうして逃れられますか」という、「さてどうしたらよいか」と申されると、その女がいうには「あなたは拝見するとただ人ではなく貴い人のようです。ではこうして下さい」と言って、湯舟をうつぶせにして、その下に伏せ奉じて、上に布を多く置いて、水汲みかkて洗っていた。しばらしくして兵共、五百人ばかり来て、女に問うて言う。「ここより人が渡って行ったか」というば、女は「貴い人が軍兵千人がかり率いてこられた。今頃は信濃の国におられるでしょう。すばらしい龍のような馬に乗って飛ぶように見えた。この少勢では追い付いても皆殺されてしまうでしょう。これから帰って軍を多く備えて追うと良いでしょう」というと、ほんとうにそうだと思って大友の皇子の兵は引返した。

その後大海人皇子は女に仰せられるには「この編で軍勢を集めたいができないだろうか」と問われると、その女はしりまといて、その国のむねとあるものどもを集め語り合うと二、三千人の兵が出来た。それを引具して大友皇子を近江国大津に追い討ち滅ぼした。このすのまたの女は不破明神の化身であると伝えられている。

 

 

    

鎌倉街道沿いや不破明神の伝説を案内されている奥田良二さん

 

 

 

———————————————————————
<郷土に感謝 誇ろう日本!>
大垣市の旅行会社
有限会社 大幸ツアー
facebook
———————————————————————–

ページトップ

大幸ツアー

〒503-0926
岐阜県大垣市切石町2-9

0584-81-8863