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南蛮寺跡 日本の土着力

2020年1月2日

京都市中京区姥柳町には織田信長が容認した「南蛮寺」跡の石碑があります。

永禄2年1559年、イエスズ会の京都における布教が本格化しますが、天正15年1587年、豊臣秀吉がバテレン追放令を出すことになります。

 

容認していたバテレンの布教活動を豊臣秀吉がなぜ突然に禁止し国外追放したのか。

当初、信長の時代には南蛮貿易や海外情報を知る上で役立ったこともあり、優遇していた布教活動でしたが、キリシタン大名による火薬輸入のための人身売買が発覚します。

何より日本の国体を軽視する一神教の危険性を察知した秀吉は、宣教師が布教のお面をかぶった日本植民地化のための侵略の先方であることに気づいたからです。

 

家康の時代には、ポルトガル・スペインとの貿易をも禁止するとういう「鎖国」を断行することになります。

 

信長・秀吉・家康の時代になぜ終戦以降の日本と違い自国優先・外圧排除を強行できたのか、ナショナリズムを断行できたのか。

それは当時の日本には世界随一の財力と軍事力があったからです。

更にもしも、宣教師が暗躍する前に鉄砲が種子島に伝来しなければ、そして購入した超高価な二丁の鉄砲のうち一丁の鉄砲を分解し、国産鉄砲を作ってしまう日本の技術力がなければ、日本は列強の植民地になっていたかもしれません。

 

ここで、馬渕睦夫さんの動画を紹介します。

上の写真は動画内で登場する芥川龍之介作、神神の微笑(かみがみのびしょう)の舞台となった京都の南蛮寺(跡の石碑)です。

ありし日の南蛮寺境内で、布教の壁にぶち当たる宣教師のオルガンティーノが、落胆の心中で交わす精霊との会話の中で、日本国土の持つ不思議な力が語られています。

 

 

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