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李登輝元総統 台湾民主化の父

2020年8月11日

 

2015年に台湾の李登輝元総統が来日され、日本外国人特派員協会での会見動画がありましたので紹介いたします。

李登輝元総統は、「国際社会に戦国時代が到来した」と称し、「台湾の主体性を確立する道」と題して講演されてみえます。

 

その会見の中で、李登輝元総統は台湾がどのような経緯で日本となったのかも述べてみえます。

日清戦争後の1895年、下関において日清講和会議で行われた際、台湾割譲について話し合われた。
日本側の全権・伊藤博文に対し、清朝側の全権・李鴻章は次のように述べた。

「台湾は非常に治めにくいところです。3年に1回は小さな難が、5年に1回は大きな難が起きる。清朝の管理の行き届かない化外の地です。」

それに対し伊藤博文は、

「台湾は日本が引き受ける。」と発言、台湾割譲を受けることになりました。

 

日本統治の50年間で台湾は目覚まい近代化がすすめられました。

 

ダムの建設、発電所、下水道、鉄道、道路、学校建設などのインフラ整備。

 

李登輝元総裁は、日本統治下の台湾で生まれ、日本の京都帝大に留学、中退し日本陸軍の志願兵になり、22才で終戦を迎えました。

台湾帰還後は台湾大学へ編入学。

国民党軍が入って来た台湾は、本省人(元から台湾位に移民していた漢人)を2等国民として弾圧していました。

1947年に起きた2.28事件をきっかけに、その後の台湾では、40年間におよぶ戒厳令がひかれることになりました。

李登輝元総統は、台湾大学を卒業後、アメリカ留学をします。

アメリカ留学中は農業経済学を専攻し、論文が権威ある賞を受賞、博士号所得、台湾に帰還します。

農業専門家として活躍するも、蒋介石の息子の蒋経国総統に見込まれ、国民党入党、政界入りをします。

台北市長を経て、蒋経国総統からの任命で副総統に就任。

国民党独裁政権下においては、市長も総統も国民の選挙では選べません。

李登輝元総統は、外来者ばかりが握って来た台湾の政治を本省人自らの政治にしたいという強い願いがありました。

蒋経国総統死後、総統代行に就任した李登輝元総統は総統選挙を行い、第4代総統に就任しました。

李登輝元総統(2020年7月30日97才没)は台湾民主化の父と称されました。

戦後、40年以上に及ぶ国民党独裁体制だった台湾において、血を一滴も流さずに民主化を成しえたのです。

この動画をご覧いただくと李登輝元総統の台湾民主化への経緯と注がれた情熱が伝わってきます。

 


 

李登輝元総統は台湾総統の立場でありながら、尖閣は日本の領土ですと言われたお方です。

日本への愛を持った方です。

それでいて、学生時代はマルクスの資本論に影響をうけた唯物論者的な面もあるのに、台湾独立を進めたナショナリストでもあります。

学生時代は社会主義思想でありながら、後に国民党に入党しています。

李登輝元総統の心の中に何があったのでしょうか。

 

社会主義思想が悪なわけではありません。

社会主義思想を利用して、人類を支配する利己的思想が悪なわけです。

李登輝元総統は、社会主義思想に理想を求め、外来人に支配され搾取され弾圧され続けた弱い立場の人たちを救いたかったのではないでしょうか。

 

台湾は原住民(山間部に住む高砂族など)と本省人(戦前から台湾に移民している漢人)と外省人(戦後、台湾に逃れた国民党軍やその家族)が住む国家です。

 

各民族が台湾の中でそれぞれに権利を主張すれば、台湾はいつまでたっても台湾は一つになれず、台湾人のアイデンティティーは持てなかったでしょう。

ところが、李登輝さんのような優れた指導者の出現で、台湾は民主化に成功しました。

今でも悪魔的な勢力が台湾内で離間工作をしていて、現政権の転覆をねらっています。

 

台湾で起きていることは日本と無関係ではありません。

むしろ、台湾を見習うべきです。

日本も太古より他民族が移り住んでいる国家です。

日本国歌の「さざれ石の巌をなりて苔のむすまで」とあるように日本人として一つになりましょう。

 

阿里山国家森林遊楽区(日本でいう国立公園)の自生するタイワンヒノキ

樹齢1000年を超えるタイワンヒノキが多く自生しており、靖国神社の神門や橿原神宮の神門と外拝殿、東大寺大仏殿の垂木など、日本の多くの神社仏閣に阿里山のタイワンヒノキが使われている。(ウィキペディアより)

(ヒノキは日本と台湾にのみ自生する)

 

 

 

 

 

 

 

 

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