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「終戦の御詔勅」教わらないのはなぜ?

2020年8月15日

「ねずさんの学ぼう日本」では終戦の日の記事として、昭和天皇の玉音放送のことについて書かれています。

https://nezu3344.com/blog-date-20200815.html

私も同じことを思ったことがあります。

昭和天皇の玉音放送の全文(終戦の御詔勅)の内容を知ったのは、今から7~8年前だったと思います。

どこのサイトかは忘れましたが、インターネットサイトに全文の紹介があり要約がつけてありました。

そのとき感じたことは、

「昭和天皇の玉音報道とはこのような内容だったのか」という驚きと同時に、昭和天皇の国民への思い、優しさ、日本だけでなく世界の人々への思いやりなど、感想を述べるのは不敬だと思えるぐらいな気持ちになります。

その時、涙が出来てきた覚えがあります。

 

そして、あとあと思ったことは、なぜこの玉音放送の内容を私たち国民は学ばないのだろうかという疑問です。

ねずさんの言う通り、ドラマでは何度も「耐ヘ難キヲ耐ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ」のフレーズか、もしくは冒頭部分だけは良く取り上げられるます。

しかし、全文は流さない。

 

時間で言えば、全文流しても5分弱です。

 

同様に昭和天皇がマッカーサー元帥を訪ね、どんなやり取りをされたのかも、日本人として知るべき大事なことのはずです。

 

今日は終戦の日。

 

玉音放送全文を習える日は日本に来るのでしょうか?

 

(追記)

 

「世界最強天皇陛下の権威」さんのyoutube動画が「ねずさんの学ぼう日本」の本記事にありました。

NHK番組が二・二六事件での特集番組を視た昭和天皇のご様子を当時の侍従が語ってみえる内容があります。

昭和天皇が知る二・二六事件の真相とは違う番組内容だったのでしょう。

昭和天皇が人前では決して怒りをみせることはないでしょう。

 

しかし、一人きりの部屋から聞こえてきた

「怒鳴るような声が響き」とは・・・

 

 

 

昭和天皇が見せた生涯で
一度だけ激怒した姿
~元側近の胸の内~

元側近が見た、
昭和のあの日の昭和天皇の姿から、
昭和天皇の心のひだを感じる。

中村さんは、文部省を経て、
文化庁文化財保護部長などを歴任。

昭和61年(1986)年4月に
昭和天皇の侍従となった。

当時、52歳。
逝去までの3年足らず、
昭和天皇の側で仕えた。

「終戦まで大元帥、
そして最後は人間天皇として
二つの人生を歩まれた昭和天皇は、

心のんかに大戦の傷をつねに
抱えておられたのだと思います」

なかむらさんがそう感じたのは、
「おつつしみの日」の姿だったという。

昭和天皇は、毎年7月下旬から9月上旬まで栃木県にある
成すの御用邸で静養するのが恒例だった。

終戦記念日の8月15日だけ、
東京都内で執り行われる
全国戦没者追悼式への
御集積のために一次帰京する。

那須では天気がよければ
侍従がお供して、
キャラバン隊をつくり長時間、
植物の検査委に行く。

しかし、広島、中崎の両原爆の日は、
御用手で一日静かに過ごされていた。

あらたまって黙祷をする
わけではない。

しかし、外出はせず、御用邸の部屋に
一日中こもり、生物学の研究や
和歌の推敲をするのだという。

中村さんの記憶に残るのが、
昭和62(87)年8月6日の
広島原爆の日だ。

連日、霧雨が続なか、
この日は久しぶりに薄日が差した。

この日、昭和天皇はたった
14分間だけ庭に出た。

お供は、中村さんともうひとりの侍従、従医の3人。

そして、陛下の身辺を護衛する
護衛官がひとりだけついた。

向かったのは、庭の
見晴らし台のそばの茂み。

岩の脇に数本伸びた
ヒトツバショウマがあった。

「お心に哀悼をもってお慎みに
なる日ではありますが、
小さな白い糸状の
花をじっと眺めておられた」

生物学者として知られる昭和天皇。
可憐な花にどんあ思いを
抱いたのだろうか。

また中村さんにとって
忘れられない出来事が、
昭和63(88)年の②月のことだ。

2月27日の午前中、NHKが「二・二六事件・消された真実」
という特集番組を再放送した。

番組は、事件後の陸軍軍法会議で
首席検察官を務めた

匂坂春平陸軍法務官が
残した膨大な資料を、

作家の澤地久恵さんらが
読み解く形で制作。

当時のフィルムや関係者の
証言を交えて、
青年将校が獣人を襲撃し、

クーデターを起こした経緯や
事件の真相に迫ろうというものだった。

午前11時45分に番組が終わった。

その5分後に、中村さんは、皇居に
参内した人たちの記帳をまとめた

「お帳」を陛下に見ていただこうと、
皇居・宮殿の御座所に上がる。

渡り廊下のドアを開けて、
ロビーに入ると奥に、
昭和天皇の部屋がある。

普段通り、「中村でございます」と
ドアをノックして入ろうとしたその瞬間。

中村さんがこれまで耳に
したこともないような声が、
部屋から漏れ聞こえてきた。

部屋にいるのは昭和天皇ただひとり。

口にした内容はわかならいが
怒鳴るような声が響き、
ずいぶん長い時間にも感じた。

驚いた中村さんはすぐに、
侍従候所(控室)に引き返した。

「陛下が番組のどの内容について
お怒りになったのかはわかりません。

二・二六事件は当時から、52年も前の事件です。
しかし、陛下にとっては、非常に生々しい内容であり、
ご自身の気持ちと違ったものが放送されたのでしょう」

侍従候所で、ひといき
ついてから御座所に戻った。

「お帳が参っています」
中村さんが部屋に入ると、
昭和天皇は、机で原稿を書いていた。

ひどく疲れた様子だった。

昭和天皇があれほど激しく怒った声を中村さんが耳にしたのは、
あとのも先にもこの一度きりだった。

 

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